港区芝で日本酒と焼酎の販売、お酒と一緒に雑貨や本を売っています。

電話番号:03-3451-6421

営業時間:11:00~19:00(土曜日18:30)(日・祝日休)

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豊村酒造とよむらしゅぞう

福岡県福津市津屋崎4-14-18

お酒を見る

豊村酒造 外観

豊村酒造有限会社

豊村酒造 酒蔵外観

酒蔵 外観

豊村酒造 街並みからの煙突

街並みからの煙突

豊村酒造 街並み

街並み

豊村酒造 事務所

事務所

豊村酒造 貯蔵タンク

貯蔵タンク

150年の歴史と変わらぬ情熱

1874年(明治7年)、海と大地の恵みが交わる津屋崎の地に豊村酒造は誕生しました。
古(いにしえ)より続く酒造りの精神と、1世紀半に及ぶ歳月が、私たちの酒、豊盛を磨き上げてきました。
時代は移ろえど、私たちの情熱は不変です。 厳選された米と清らかな水、蔵人たちの技、そして地域との絆が幾重にも重なり、深い味わいを生み出しています。
150年の時を越え、脈々と受け継がれてきた味を、是非ご賞味ください。

豊村酒造とは

かつて塩田の積出港として栄えた津屋崎の地に、明治7(1874)年、豊村喜三郎は豊村酒造を創業しました。津屋崎は近世から近代にかけて「津屋崎千軒」と呼ばれるほど賑わい、その中心部に位置する豊村酒造は、明治28年の全国酒造家番付で九州で唯一の幕の内に名を連ねました。

豊村酒造で醸造する清酒「豊盛(とよさかり)」は、北九州市の工業地帯や筑豊炭田、別府温泉等の観光地へも出荷され、今日まで宮地嶽神社への奉納が続く、地域に親しまれている銘酒です。

酒蔵や屋敷の土間の梁には、海水に漬けた松の塩木がふんだんに使われ、訪れた人がため息をつくほど。人々が驚くような「見得の梁(みえのはり)」を据えた分、それに見合うだけの酒をつくろうとした喜三郎の精神が、代々受け継がれてきました。

そして、国の重要文化財に指定された豊村酒造旧醸造場施設。明治期に福岡県下で最大級の醸造量を誇り、かつ明治から大正にかけて整備された姿をほぼそのまま残し、日本の酒づくりの歴史と価値を語りかけています。

近代に隆盛した日本酒製造会社の大規模醸造施設群

豊村酒造旧醸造場施設は、「津屋崎千軒」と称された津屋崎地区の中心部に位置します。
明治期に九州で最大級の醸造量を誇り、かつ明治から大正にかけて整備された一連の醸造施設が良く残されており、酒造りの工程を知ることができる点において価値の高いものです。

また主屋は、取次の間を吹き放ちとして二階に高欄を回し神棚を配する点、土間に曲がった丸太を縦横に何段も重ねた梁組を見せる点等、福岡市近郊の町屋に見られる特徴をよく残しており、かつ、最大級の規模を誇ります。
これらの建物の特徴が評価されて、令和6年1月19日国の重要文化財に指定されました。

豊村酒造 街並みからの煙突

豊村酒造 主屋の梁

豊村酒造の歴史

初代豊村喜三郎は、酒造業と海産物問屋を営む豊村家の次男として生まれました。明治7年に分家して物流の集散地として栄えていた津屋崎を酒類の販売に有望と見込み、豊村酒造を創業しました。

明治25年には、豊村酒造は年間4,000石を仕込む規模に成長し、明治28年には全国酒造番付で九州唯一の「幕内」に選ばれるなど、名声を博しました。

清酒「豊盛」は、北九州は筑豊、別府などの地域に広く販路を広げ、大正時代には酒蔵の拡充とともに第二工場も建設されるなど、事業は急速に発展しました。
また、昭和の初めには、昭和天皇御大典の献上酒に選ばれています。

現在でも「豊盛」は地域の人々に親しまれており、宮地嶽神社のお神酒としても奉納され続けています。

豊村酒造 看板

豊村酒造のお酒と津屋崎浜



豊村酒造の特徴

酒づくりの歴史を支えたものたち

明治から続く酒づくりの物語は、古い写真や道具たちが静かに伝えてくれます。
初代・豊村喜三郎が津屋崎の地に蒔いた一粒の種は、地域の人々とともに育まれ、世代を超えて受け継がれてきました。

蔵に残された品々には、先人たちの工夫と情熱が宿っています。
その一つひとつが語る歴史の足跡を、どうぞご覧ください。

私田で採れた米を倉へ運搬する風景

豊村酒造 米運搬風景

明治から大正期の風景と思われます。馬に引かせた荷車に米俵を積み、人夫たちが長い列を作って運んでいました。

阿弥陀車(あみだしゃ)

豊村酒造 阿弥陀車(あみだしゃ)

8角形の車輪と車軸で構成され、その形状が阿弥陀像の光背に似ていることからこう呼ばれています。美しいデザインを持つこの装置は、大正期頃から仕込蔵2階の梁に取り付けられ、車輪に巻かれた綱を引くことで、その円周の大きさを活かして車軸に力を伝達し、これに巻きつけられた綱で重い物資や大樽を容易に上げることができたと考えられます。

使い込まれた車軸中心部分は、すり減って丸みを帯びています。酒造では一般的に使用されていたようですが、現存するものは少なくとても貴重です。(左は釜場の2階天井に設置され、右は一部の木材が欠けていますが、室(むろ)前の天井に置かれています。)

2階からの洗い米の流し込みに使用した木樋と釜場

豊村酒造 木樋と釜場

豊村酒造では、限られた敷地を最大限に活用するため、2階建ての酒蔵が大半を占めています。そのため、このような装置が必要であったと考えられます。

木樋の下には釜場があり、直接甑へ洗い米を流し込み、米を蒸していたのです。(右写真の右下隅に、この木樋の一部が見えています。)

釡床

豊村酒造 釡床

この写真は、現存する釜場とは異なり、明治から大正頃に使用されていたものです。地下に掘り下げられた場所で、釜が焚かれ、精米した白米は甑の中で蒸され、湯が沸騰していました。仕込み期間中、蔵人たちは日々、甑蒸しを繰り返しながら、仕込みの量を調整していたのです。

仕込みが完了すると、豊村酒造では「甑倒し」と呼ばれる盛大な宴が開かれました。芸者衆を招き、杜氏をはじめとする従業員たちは、その苦労をねぎらわれたといいます。

当初のレンガ造の煙突と現存する煙突の工事風景

豊村酒造 煙突工事風景

米を蒸す際やその他の作業で焚かれた石炭の煙を排出するために作られたものです。レンガ造の煙突(左側はカラー化加工された当時の写真)は、創業当初に建てられましたが、昭和5年の台風で倒壊しました。

その後、すぐに再建され、現在に至っています。再建の際には、当時としては珍しい方法である、複数の業者が共同で受注・施工する共同企業体方式が採用されたといわれています。

室(むろ)

豊村酒造 室(むろ)

麹室(こうじむろ)ともいいます。中央には長方形の床(とこ)台が置かれ、左側の壁にはヴィーサーという簡易型の機械製麹機が設置されていました。

室は、大正3年に大蔵(仕込み蔵)の2階に設置されていたという記録がありますが、その後、別の蔵(麹蔵)の1階に移されました。そして、昭和40年代に再びこの大蔵の2階に戻されました。

暖気樽

豊村酒造 暖気樽

暖気樽(だきだる)は杉材で作られています。この樽は、中に熱湯を入れて酒母の入ったタンクに投入し、酵母を増やすために使用される道具です。

酒母を温めて「糖化」を進行させる役割があります。また、場合によっては氷を入れて酒母の温度を下げるためにも使われました。

鑑定官用の部屋

豊村酒造 鑑定官用の部屋

この部屋は、大蔵(仕込み蔵)の2階にあります。酒づくりの指導や技術支援を目的に、仕込みの時期になると国税局から派遣された鑑定官が倉内に常駐し、寝泊まりしていました。

その際に使用された部屋です。内部には壁紙が貼られており、居室としての体裁が整えられていました。

槽(ふね)と油圧式搾り機

豊村酒造 槽(ふね)と油圧式搾り機

醪を柿渋染めの木綿酒袋に入れ、酒と酒粕に分ける際に使用される槽(ふね)です。形が舟に似ていることから、このように呼ばれています。

昔は、重しを使用した『ハネ木搾り』という方法で、醪を入れた布袋からゆっくりと酒を採取していました。堅く重い銀杏の木で作られた3つの槽は、まず2つの槽で搾り、搾りきれなかった2槽分の酒袋を3槽目に移してさらに搾る仕組みになっていました。

昭和初期頃からは、油圧ポンプで機械的に圧力をかけ、醪を搾り出す方法に変わり、平成14年まで、豊村酒蔵の酒づくりを支え続けてきました。

蛇管

豊村酒造 蛇管

搾った清酒の火入れに使用します。和釜(写真下部)で湯を沸かし、その中にステンレス製の蛇管(写真右中央部)を沈めて、蛇管内を通るお酒を加熱して火入れを行っていました。

洗瓶機

豊村酒造 洗瓶機

これは、かつて一升瓶を洗うために使われていた装置の一部です。現在は残っておらず、いつ頃から使用されていたのか、詳しい記録は見当たりません。

酒の瓶詰めと火入れ殺菌

豊村酒造 酒の瓶詰めと火入れ殺菌

写真右側ではお酒の瓶詰めが行われており、左側では瓶詰めされたお酒に火入れ(殺菌)の作業が行われている様子がわかります。

この写真は、大正時代から昭和時代初期頃のものと思われます。中央に写っているコートを着た2人は、税務署員だと考えられます。

お酒紹介

豊村酒造のお酒の一部を紹介します。

  • 豊盛 純米吟醸 720ml

    豊盛 純米吟醸 720ml

  • 豊盛 純米酒 720ml

    豊盛 純米酒 720ml

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蔵探訪・アクセス

〒811-3304 福岡県福津市津屋崎4-14-18

酒蔵見学

明治の始まりとともに、津屋崎の地に夢を託した豊村喜三郎。
最初の二棟の蔵が建ち、そして住まいを構えた頃から、豊村の酒づくりは九州一の規模へと成長していきました。
今も残る蔵や建物たちは、150年の時を超えて、当時の酒づくりの様子を私たちに語り継いでいます。

  • 営業時間:10:00〜16:00(最終入場15:30)
  • 休館日:夏季・年末年始の他不定休あり
  • 10名以上の場合は事前にお申込み下さい。

豊村酒造 外観

酒蔵 外観

酒蔵紹介

豊村酒造 酒蔵紹介

主屋(おもや)

明治20(1887)年建築

この町家は、店舗兼住居として明治20(1887)年に建てられました。大工棟梁は博多櫛田前町の山崎清蔵です。明治40年代に背面側、大正期には土間及び事務室周り、昭和初期に応接室周りが改修されました。建築面積は226.90m2で、2階建、入母屋造平入、桟瓦葺です。東面に下屋が付属しています。基礎は外周が布石、内部は礎石の上に柱を立て、2階床高を胴差で固めています。土間部背面側は2階上部に曲がった丸太の梁を縦横に4段積んで豪壮な梁組を見せ、その上に和小屋を組み、表側は登梁を入れています。

これは大規模な町家であり、土間上部に吹き抜けを設けて曲がった丸太を縦横に積み重ねた梁組を現わす構成や、取次を吹き抜けとして2階に高欄を廻して神棚(山崎朝雲作)を祀る形式が、福岡市周辺の町家建築の特徴をよく現わしています。同時に、取次はその良質な施工と仕上げが意匠的な見せ場ともなっています。

豊村酒造 主屋(おもや)

豊村酒造 主屋(おもや)

豊村酒造 主屋(おもや)

豊村酒造 主屋(おもや)

本座敷(ほんざしき)

大正6(1917)年建築

建築面積は92.10m2で、平屋建、北面入母屋造、南面切妻造、桟瓦葺です。北・東面に下屋を廻し、北面西端に便所が突出しています。主屋との接続部は2階建で片流れ屋根をかけています。平面は10畳2室続きの座敷で、北側を主座敷とし、北・東縁に内縁を廻しています。主座敷西面に床と床脇、北面に付書院を備え、次の間の南面に仏壇を置いています。座敷は2室とも長押を廻し、天井は棹縁天井です。建具は2室の間は筬欄間と襖を入れ、他は腰障子を入れています。縁側は内法に掃き出しのガラス戸を建てて内法上は無双窓を入れ、天井は化粧屋根裏としています。

主座敷の床は畳床とし、床柱はスギの絞り丸太、床框は黒漆塗としています。床脇には天袋と棚、地袋を備え、地板はケヤキの1枚板を用いています。付書院は柳障子を建て、透彫の欄間を入れ、全体を透漆仕上げとしています。これは当家で最も格の高い座敷です。大工は吉村重兵衛です。

豊村酒造 本座敷(ほんざしき)

豊村酒造 本座敷(ほんざしき)

納戸蔵(なんどぐら)

明治27(1894)年建築、大正6(1917)年現地に曳家

これは家財道具を納める蔵です。土蔵造で、建築面積は33.88m2です。2階建、地下1階、切妻造、桟瓦葺となっています。北面に庇が付いており、庇の西半は壁で囲まれています。庇東面から本座敷に向かって切妻造、吹き放ちの渡廊下が付いています。

地下室は煉瓦造とし、その上に土蔵を建てています。小屋組は和小屋で、外壁は白漆喰塗に腰壁を海鼠壁としています。内部は各階1室となっており、北面に出入口を開いて石段を付しています。その西隣の下屋内部に地下への階段を設けています。

豊村酒造 納戸蔵(なんどぐら)

豊村酒造 納戸蔵(なんどぐら)

豊村酒造 納戸蔵(なんどぐら)

酒蔵(さかぐら)

明治43(1910)年建築

これは醸造後の酒を仮置きまたは貯蔵していた建物で、北面及び南面に間仕切りを設けていません。建築面積は173.28m2で、2階建、切妻造、桟瓦葺です。東面に金属板葺の庇を付け、桶干場としています。

各階1室となっており、1階の西面南端に出入口を開き、東面南側は吹き放ちとしています。外部の仕上は麹室と同様としています。内部の仕上は、1階も真壁造の中塗仕上げとする他は、麹室と同様としています。

豊村酒造 酒蔵(さかぐら)

麹室(こうじむろ)

大正3(1914)年建築

れは蒸した米から麹造りを行う建物です。大正3(1914)年に古家を再用して建築されました。

建築面積は75.69m2で、2階建、北面寄棟造、南面切妻造の桟瓦葺です。南隣の酒庫との間は間仕切りを設けず、接続しています。基礎は布石で、小屋組は曲がり材の梁を3段に重ねています。

外壁は白漆喰で軒裏まで塗り込めており、腰壁を下見板張、その上部を竪板張としています。内部は各階1室で、室は1階を白漆喰塗の大壁、2階を真壁造で中塗仕上としています。床は1階をモルタル仕上土間、2階を板張としています。

豊村酒造 麹室(こうじむろ)

豊村酒造 麹室(こうじむろ)

豊村酒造 麹室(こうじむろ)

釜場(かまば)

明治33(1900)年建築、大正3(1914)年改修

これは洗米・浸水した酒米を蒸す工程と、酒の火入れを行っていた建物です。建築面積は78.23m2で、2階建、切妻造、桟瓦葺となっています。棟を蒸気出としており、東面に金属板葺の庇を付けて桶干場としています。

1階に煉瓦で大口径2口の釜を造っています。作業庭の地下に煙道を通して、作業庭の東端に煙突を建てています。仕上げは酒蔵と同様です。

豊村酒造 釜場(かまば)

豊村酒造 釜場(かまば)

豊村酒造 釜場(かまば)

豊村酒造 釜場(かまば)

仕込蔵及び酛取場(しこみぐらおよびもととりば)

仕込蔵:大正3(1914)年建築、酛取場:大正7(1918)年、昭和4(1929)年改修

大正3年(1914年)に仕込蔵が建築され、同7年(1918年)に酛取場が増築され、昭和4年(1929年)に地下室が設けられました。酛取場では、蒸米・麹・水で酵母を培養して酛(酒母)をつくり、仕込蔵では酛(酒母)・麹・蒸米・水で醪を仕込みます。

建築面積は540.05m2、2階建てで、北面は切妻造、南面は入母屋造です。東面には附属する下屋があり、これを酛取場として全体を桟瓦葺とし、北面には金属板葺の庇を付けて桶干場としています。基礎は切石で、梁間に2筋の独立柱を立て並べ、小屋組は中央間に3重梁をかけ、両脇間は軒梁から独立性に登梁を差しかけ、広大な空間を支えています。

1階は1室で、2階は北東隅に小部屋があります。仕上げは、西・南面の外壁上部に竪板張をしないこと以外は、酒蔵と同様です。酛取場は、1階の床高を約1m上げて地下室が設けられています。地下室は煉瓦造外壁の内側をモルタル塗りとし、その内側に鉄骨を立ててコンクリート造の1階床板を支えます。北面は槽蔵との間に間仕切りを設けず、地下室への階段は槽倉南西隅に設けられています。

豊村酒造 仕込蔵及び酛取場(しこみぐらおよびもととりば)

豊村酒造 仕込蔵及び酛取場(しこみぐらおよびもととりば)

豊村酒造 仕込蔵及び酛取場(しこみぐらおよびもととりば)

豊村酒造 仕込蔵及び酛取場(しこみぐらおよびもととりば)

豊村酒造 仕込蔵及び酛取場(しこみぐらおよびもととりば)

槽倉(ふなぐら)

大正3(1914)年建築

この建物は、醪を圧搾して原酒を採取する工程を担っています。建築面積は160.34m2で、一部2階建て、北面は入母屋造、南面は切妻造、桟瓦葺です。北面には金属板葺の庇を設けて、桶干場としています。

東面と南面の腰壁は切石積とし、小屋組には3重梁を架けています。内部は白漆喰塗に腰板壁としていますが、それ以外の仕上げは酒蔵と同様です。

豊村酒造 槽倉(ふなぐら)

豊村酒造 槽倉(ふなぐら)

豊村酒造 槽倉(ふなぐら)

古酒倉(南)(こしゅぐら みなみ)

明治10(1877~1886)年代建築

この建物は、火入れをした酒を貯蔵するためのものです。建築面積は158.38m2で、2階建て、東西棟切妻造、桟瓦葺です。小屋組には曲がった丸太の梁を利用し、和小屋と登梁を交互に架けています。

古酒倉(南)の東面と古酒倉(北)の西面北半分の間には間仕切りを設けず、1室となっており、北面に出入口があります。仕上げなどは麹室と同じです。

豊村酒造 古酒倉(南)(こしゅぐら みなみ)

豊村酒造 古酒倉(南)(こしゅぐら みなみ)

豊村酒造 古酒倉(南)(こしゅぐら みなみ)

古酒倉(北)(こしゅぐら きた)

明治10(1877~1886)年代建築

この建物は、火入れをした酒を貯蔵するためのものです。建築面積は91.64m2で、2階建て、東西棟切妻造、桟瓦葺です。小屋組には曲がった丸太の梁を利用し、和小屋と登梁を交互に架けています。

古酒倉(南)の東面と古酒倉(北)の西面北半分の間には間仕切りを設けず、1室となっており、西面に出入口があります。外壁が波板鉄板張である以外は、仕上げなどは麹室と同じです。

豊村酒造 古酒倉(北)(こしゅぐら きた)

豊村酒造 古酒倉(北)(こしゅぐら きた)

試験室(しけんしつ)

明治後期建築(推定)、昭和14(1939)年改修

この建物は、古酒倉(南)の北西隅に食い込むように建てられており、酛や麹、清酒の管理のために、酒精分や日本酒度の分析、利酒などを行うために利用されました。

建築面積は40.47m2で、2階建て、切妻造、桟瓦葺です。西面には下屋が附属しています。内部は、1階を試験室、杜氏の待機場所、物置の3室に分けており、2階は1室になっています。

豊村酒造 試験室(しけんしつ)

作業場(さぎょうば)

大正12(1923)年建築、昭和48(1973)年改修

この建物は、出荷前の酒の瓶詰めなどを行い、屋根の上は桶干場として利用されました。

建築面積は244.57m2で、平屋建て、傾斜の緩い鉄板葺です。独立柱を東西方向に2列立て、南北方向に梁を渡し、梁の端は古酒倉(北)および主屋に差しかけています。

豊村酒造 作業場(さぎょうば)

豊村酒造 作業場(さぎょうば)

豊村酒造 作業場(さぎょうば)

附 煙突(えんとつ)1基

昭和5(1930)年建築着手

完成時期は不明ですが、昭和5年(1930)に建設着手されました。基礎は直径9尺(約5.4m)の8角形で、根入れが約1.0m、基礎厚みは約400mmです。捨栗石1尺2寸(約360mm)でモルタル5寸(約150mm)打ちの上に5分(約15mm)の丸鉄筋を組んでいます。

煙道は北側の釜床(酒瓶煮沸用)(現在なし)と南側の釜床(蒸米用)へ延びていますが、北側煙道の開口はコンクリートで塞いでいます。躯体表面はコンクリート打ち放し仕上げで、木製板型枠を組み、約1.1mごとにコンクリートを打設しています。主筋・帯筋は丸釘を使用しています。

煙突頂部には柱頭飾りとして2段のつばの下に珠状突起、櫛状溝、横帯を施しています。煙突北側には管理用の鉄製はしご、南側には避雷針の先端痕と導線、留め具が取り付いています。

豊村酒造 附 煙突(えんとつ)1基

豊村酒造 附 煙突(えんとつ)1基

附 塀(へい)1棟

大正6(1917)年建築(推定)

この腰板塀は、麹室の外壁腰壁簓子下見板張りから続くものであり、建築年代は不詳ですが、大正6年(1917年)に本座敷棟が新築された際に合わせて設置されたと考えられています。

木製の支柱の頭部を棟木で繋ぎ、腕木を出して桟瓦葺の笠屋根を載せています。柱間には真壁土壁を造り、腰板は大壁で竪板張りにし、軒下は鼠漆喰で上塗り仕上げとしています。

豊村酒造 附 塀(へい)1棟