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長野銘醸株式会社
元禄2年(1689年)創業
信州更科の里・姨捨は万葉の時代より月の名所で知られた、芭蕉も恋する月の都です。
芭蕉が更科紀行を記述する中、湧き水と棚田に囲まれた当地で弊社が創業しました。
以来三百有余年、創業時のままの蔵で、昔ながらの手造り純米を醸し続けています。
長野銘醸の特徴
長野県産のお米と地元の良質な水だけを使用して仕込む「純米100%」のこだわり
伝統的国酒とは、お米から醸される、混入物など一切ない純天然の神聖なる産物です。
自然と共存し天の恵み物により育てられた日本の食文化は、我々に安心・安全を享受してきました。
その安心・安全が、化学薬品たる添加物により脅かされています。
添加物を一切含まない純天然の食文化こそ、安心・安全の根源と考えています。
その思想に基づき、当蔵は長野県産のお米と地元の良質な水だけを使用して仕込む「純米100%」にこだわり続けています。
そして何よりも「美味しい」「旨い」と楽しんでいただきたい。
お客様に愛される本物の美味しさは本物の素材の中にあると考えています。
「本物の美味しさを追求」、これが長野銘醸の目標です。
蔵元のこだわり
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水にこだわる
当蔵の酒造りでは、桜清水に代表される信州更科の湧水「八幡の七清水」を主水源とする良質な水を使用しています。
当地の小学校の校歌に七頭と歌われ、弁天清水、嘉瀝清水、桜清水、小瀧清水、山ノ神清水、大明神清水、頭無清水があります。
桜清水は当蔵を訪れた東郷平八郎元帥に「天下第一泉」と命銘され、明治天皇にも献上されました。
この七頭の湧水は棚田を潤し、稲を育て、冬季には当蔵で酒造りに用いられています。
添加物を一切用いずに醸される当蔵の酒は、良質な水が命です。
「酒を造る米を育てた水」と「酒造りの仕込み水」、同じ水を使うことで健全な醗酵がすすみ、悪酔いしにくく水晶のようにまろやかなお酒が生まれます。
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米にこだわる
当蔵のお酒は地元の棚田をはじめとした長野県産米で醸される「信州産の純米酒」です。
仕込み水で育った原料米、これが我々の理想です。
大事に育てられたお米から醸される大切なお酒だからこそ、廃糖蜜から製造される 醸造アルコールは混ぜたくありません。
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造にこだわる
当蔵では医食同源の思想のもと、健康に配慮した酔い覚めの良い次の日に残らない酒造りを目指しています。日本酒造り千年の伝統と知恵を継承し、文化を伝承する事で健康に貢献できると考えています。
日本酒造りの基本は、添加アルコールや酵素剤等の化学薬品は一切用いない「酒母立て、丸米、三段仕込」の伝統的製造技法にあります。
伝統技術を守り進化させる事で、完全発酵による混入物など一切ない、安心・安全のお酒を造り続けています。
弊社では近年、外部からの冬の間だけ酒造りに来ていただくといった、旧来の杜氏制度をやめ、自社社員による酒造り体制に移行いたしました。
これにより、酒造りの要である仕込みはもとより、貯蔵、熟成を含めた商品管理、お客様の声を生かした商品開発など、一年を通しての取り組みが可能となりました。これらの取り組みは、着実に酒質向上に繋がっています。
これからも、まだまだ成長し続けます。ご期待ください。
貯にこだわる
日本酒は熟成のためにタンク内で貯蔵し熟成後、アルコール度数を整えてから瓶詰し商品として出荷されます。
一部の製品では搾った原酒を1升ビンに詰めてから瓶燗し、低温熟成により酒質を向上させるため、-5℃の冷蔵庫で一定期間貯蔵しています。
この低温長期間貯蔵により香りや味わいが整い、商品として納得して出荷できるまで、寝かせる事が可能となっています。
また、一部商品では商品完成後も冷蔵庫に保管して熟成が進みすぎないようにし、お客様が飲まれる頃に美味しく召し上がれるように調整しております。

お酒紹介
長野銘醸のお酒の一部を紹介します。
純米大吟醸 棚田 ラグラース
純米吟醸 キセキレイ(kisekirei)
純米吟醸 棚田 モダンドライ(modern dry)
特別純米 棚田 (TANADA)











蔵元の歴史
寛文年間(1661~1672年)
鎌倉時代の信濃の国 和田郷(長野市)の領主、御家人 善光寺奉行人 和田石見入道佛阿[文永二年(1265年)没]の後裔、信濃国更科郡八幡中原(郡村)の和田山城主和田弾正正俊[天文十三年(1544年)没]の五世之孫 和田三郎右衛門正成の次男、與八郎(後に平兵衛正公と改)が分家、同村の肝煎を勤める傍ら酒造業を創業しました。
なお、5代與惣右衛門正常以降は分家が名主(肝煎)を勤め、当家は大名主となっています。
元禄2年(1689年)の記録に酒造石高92石とあり、石高についての一番古いこの記録の年をもって創業の年としています。
当時は「松泉」、「高砂」を銘柄として使用していました。現在の「姨捨正宗」は江戸後期からの銘柄です。
和田家は、その祖は平安時代において、信濃の国東条の庄(高井郡・水内郡)の地頭、下って鎌倉時代において和田郷(長野市和田)の御家人。当和田家の直系の祖和田石見入道佛阿は善光寺奉行人をつとめ後に当更科郡八幡中原の地に移りました。
以来、和田家はこの地において室町時代、戦国時代の乱世を地方豪族として逞しく生き抜き、江戸時代の商品経済の展開にもよく適応して、その所領知の米を用いて、武家(郷士)としての醸造業を成功させてきました。そのような歴史のなかで、地域社会の文化、経済、産業の発展に重要な役割を担ってきました。
慶安4年(1651年)
和田三郎右衛門正成の長男 和田弥左衛門正廣の発願により龍天宗登大禅師を招き当地開眼寺の前身観音堂を建立しました(開基)。(臨済宗妙心寺派大本山妙心寺の記録に「当地の豪族 和田弥左衛門正廣の発願により・・開山とす」とあります)
このように、仏閣の寄進が目立ちますが、和田家の祖が仏門の人であったことが深く影響しているものと考えられます。
その他、善光寺、長楽寺、武水別神社などに数々の寄進を行っています。
明治39年(1906年)頃
明治39年5月14日、日露戦争の戦勝記念に当地を訪れた東郷平八郎 元帥、伊東祐亨 元帥、上村彦之丞 大将を郡平が迎えています。三将軍はオバステ正宗で戦争の疲れを癒し、その酒質を賞賛して仕込水である「桜清水」を「天下第一泉」と命銘されました。
昭和23年(1948年)
第11代 芳郎は、増醸酒が普及する中で純米酒を造り続け日本酒の伝統文化を守り続けました。(参考: さまよえる日本酒 ビーエービージャパン刊 高瀬斉著、幻の酒造りに燃えた男 フルネット刊 高瀬斉著、小説幻の酒 ビーエービージャパン刊 高瀬斉著)
昭和28年(1953年)
田中哲朗先生を中心として結成された吟醸酒グループ研醸会に参加。長野県が醸造試験場の指導に従い吟醸酒の醸造を取りやめる中で吟醸酒を醸し続けました。その功績は現在まで高く評価され、この純米、吟醸蔵としての伝統が現在の当社の基礎となっています。
昭和35年(1960年)
和田家敷地内に長野銘醸株式会社設立。個人から法人経営に移行しました。
昭和62年(1987年)
普通酒を廃止し、オバステ正宗はすべて特定名称酒となりました。
平成19年(2007年)
醸造アルコール無添加を達成、オバステ正宗はすべて安心安全の純米酒となりました。
(長野銘醸Webサイトより抜粋)