港区芝で日本酒と焼酎の販売、お酒と一緒に雑貨や本を売っています。

電話番号:03-3451-6421

営業時間:11:00~20:00(土曜日18:00)(日・祝日休)

『僧坊酒』

妻の家は天台宗。丁稚の家は真言宗。
いずれもかつて朝廷からお墨付を頂いていた仏教です。

一昨日、懸案だった比叡山延暦寺へ参拝しました。
残念ながら国宝「根本中堂」が平成・令和の大修理中。

比叡山延暦寺 寺社内 紅葉風景
比叡山延暦寺 寺社内 紅葉風景

再訪を約して寺を後にしました。

さて、本題。お寺に関わる『僧坊酒』(そうぼうしゅ)と言う言葉をご存知でしょうか?

“平安時代から江戸時代に至るまで、大寺院で醸造された日本酒の総称で、高品質の酒として高い評価を受けていた” とWikipediaにあります。

背景は次のような歴史に由来します。

平安時代初期まで、朝廷は造酒司(みきのつかさ)など内部で酒造を行っていた。
時代は流れ、酒造りは大和や河内をはじめとする各地の大寺院が担うようになってゆきます。

当時の醸造は、バイオテクノロジーの最先端であり、大寺院はそれを受け継いでゆきます。

何故、大寺院が?

『比叡山』刻印の酒盃

 

現代の常識では考えは及びませんね・・・

理由は複数あるようです。

経済力

荘園からの米、貴族からの寄進。
商業資本が未発達な当時、大寺院には資本が集まった。

労働力

修行僧や僧兵など、人手に事欠かなかった。

情報力

大寺院は、遣隋使・遣唐使に加わった留学僧、渡来僧など、知識は最先端。
それらの知識には酒造りに関係する農法や醸造技術が含まれていた。

環境力

当時の最高学府として、新しい情報や知識を俗欲に惑わされず吟味し、実験し、改良していくだけの学究的な時間と空間にも恵まれていた。

政治力

時の大寺院は、今日で言う治外法権エリア。
その特権により、市井では生育しにくい産業も朝廷から庇護された。
さらに、お尋ね者、奇才の人材や、勢力争いにやぶれた権力者など今日でいう異端の頭脳・人材も広く受け入れていた。

これらの諸条件のもと、利益性の高い酒造が大寺院で発展したのは自然な成り行きだったようです。

記述はWikipediaなどより引用させていただきました。

丁稚さん 丁稚さんのインスタグラムへ

『丁稚のつぶやき』を担当しております「ものがたり酒店」のMYです。
週1ペースでお店に出没しています。

仕事は力仕事注1頭脳労働注2接客注3です。

注1腰痛が悪化しない程度に
注2お酒を飲みながら在宅で
注3積極的に試飲にお付き合い

なお、MYは「永世丁稚」の称号を大旦那様より賜った筈だ⁉と主張していることを申し添えます。